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2020/06/04

「ぼくには時間がない」
わずか21歳のとき決闘で死んだフランスの天才数学者エバリスト・ガロア(Évariste Galois(1811.10.25~1832.5.31))は、フランス革命から20年の後パリ郊外に生まれた。15歳の頃、学校で数学の勉強をして強い興味を感じたけれど、間もなく教科書に不満を感じて、数学の専門書を自分で読んで勉強した。
▼工科大学の受験に2回失敗した。失敗したのは面接官の質問が余りに簡単で、ガロアには幼稚に見えて、まともに答えなかったためだといわれている。やがて数学の論文を書いて発表するようになったが、提出した原稿を教授に紛失されてしまったり審査する学者に理解できない内容であったために掲載を拒否されたりした。▼ガロアが研究していたのはどんなことだったのだろう。個別指導塾の個人塾ではこんなお話もできます。
当時の多くの数学者はax^5+bx^4+cx^3+dx^2+ex+f=0(5次方程式)にも解の公式があるに違いない。ややこしいだろうけれどないわけない、と考えていた。ガロアが証明したのは、「5次以上の方程式には一般解がない」というものだ。この証明は決定的に重要だったのは、結論を導くために作られた理論だった。いわゆる群論である。群論は、他の数学のようにゴールがあって数式を丹念に追っていけば理解できるようなものとは大きく異なる。言ってみれば、人の思考や行為そのものといった操作を対象にした数学なのだ。
▼当時のフランスは、ナポレオンのあとフランス革命の成果をなしにしようとする反動の時代にあった。ガロアの純粋な精神は反動政治を許そうとせず、エコール・ノルマル在学中から共和派として革命運動に参加、せっかく入った大学を1年で退学処分にされている。フランス7月革命の闘士でありながら、恋人をめぐる決闘に散ったのだ。決闘した殺し屋は、 相手のガロアがどんなすばらしい数学者であるかまったく知らない。
▼ガロアは自分の中にすばらしい数学の発見があるのに、自分にはわかっているのに、誰にも知らせずに死ぬかもしれない。彼は徹夜でそれまでに得た数学の結果をまとめて、友人シュバリエ宛に手紙として29日付で発送した。決闘の日の朝、「ぼくには時間がない」とノートの余白に走り書きながら書き上げた論文が、その後の数学を変えた。いわゆる「ガロア理論」だった。それが遺言だった。ロマンあふれる話ができるのは個別指導の個人塾だからです。
▼……このような時代を経て今日がある。高校で習う数学の一つ一つにも、最初の発見のときがある。数学も正しく勉強すれば、いろいろ考えることができるし、そうすることが君たちを鍛え力をつける。
★小学生・中学生・高校生にもロマンあふれる数学者を紹介できるのも個人塾の良いところです。(参考;すばらしい数学者たち・矢野健太郎)

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