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2020/12/15

コロナ感染症 …… “安心”ではなく“安全”に目を向けるべき……
日本では“安全”と“安心”という二つの言葉をセットにして使うことが多いが、外国では“安全”は使っても“安心”はあまり使わない。“安全”が根拠に基づくものであるのに対して、“安心”は気分的な問題。
外国人は根拠やデータを重視するが、日本人は気分の良さという要素を求めるため、“安心”が付随してくる。情緒を貴ぶ日本人の国民性が裏目に出てしまった。

少なくともウイルスに情緒は通じない。理論的、合理的に対応していくべきなのだ。安全と安心はどう違う?最近とくに「安心・安全な社会づくり・・・」とか「安全・安心な商品提供・・・」とか、安全という言葉と安心という言葉をワンセットで重ねて使う様子を目にしたり、耳にしたりする。しかし、実際は、安全と安心は同じではない。あたかも同じ意味をもつものとして強意の意図をもって並べて使っているとすれば、違和感を覚える人もいるのである。

安全と安心ということばの意味の違いをどのように区別すればよいか?例えば、渓谷を眼下にしてバンジー・ジャンプを跳ぶかどうかに迷う様子を思い浮かべるとわかりやすい。足に括られたスプリング付きのロープは人間一人を支えるには十分な強度がある、だが、いかに強度的に安全といわれても感覚として不安がつのる。科学的な安全保証に対する主観的な信頼感覚の、その両者の葛藤がバンジー・ジャンパーの決断に逡巡をうむことになる。

安全は、危険の程度が許容の範囲内にあると客観的に保証される状態であるのに対し、安心は、安全の程度を基にした個々の人間の主観に基づく信頼感覚であると説明できる。少なくとも、いまはまだコロナ蔓延に安心を求める局面でないことは確かだ。

日本人はコロナに対して強いというファクターXは、まさに“安心”を醸成するワード。そこに漂う心地よさではなく、いまこそ日本人も、“安全”に目を向けるべきなのだ。

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