
記憶力と理解力、暗記力(論理的・数学的思考)
▼「記憶力と理解力、暗記力」・・・本来はそれぞれ別のものですが、「あの人は何でも知っている」「あの人は博識だ」と呼ばれる人がいる場合、その人はただ記憶力・暗記力が高い、あるいは記憶容量が大きいという訳ではないように思えます。
▼人間の頭脳をパソコンの様に
①CPU
②メモリ
③ハードディスク
で考えてみると、一般にイメージされる記憶力・暗記力や「物知り・博学」というのは、ハードディスク容量が、大きいイメージを持たれがちな場合も多いです。
実際はハードディスク容量よりも、「回転数」と「メモリ」による部分が大きいような気がします。
▼人間の脳はハードディスクと違って、記録したものをどんどん忘れて行くもので、記憶容量が多いことよりも、「記憶したものをその場に応じて、適切に取り出せる」事の方が重要だと思います。
いくらインプット量が多くても、必要な場で瞬時にアウトプットできなければ、宝の持ち腐れなわけです。
▼必要な場で必要に応じて、情報や知識を関連付けて取り出し、役立てることが出来るように、「取り出しやすい形」=「頭の中で様々なこととリンク」させ、整理されている形で保存されていることが大切なわけです。
▼家の中に1万冊の本があってどこに何があるか分からない、すぐに探せない状態よりも、机周りにどこに何があるか把握している100冊の本があって、すぐに必要な情報を取り出せる状態の方が役立つのと同じで、脳の中もそういった状態で記憶しておく方が良いように思えます。
▼テレビでは、雑学やクイズ流行りですが、雑学やクイズに強い人達は、単に知識をいっぱい持っているだけではなく、それを取り出せる状態で記憶していることに加え、持っている知識を相互に関連付けて考える思考力も持っていると感じます。
「記憶したものをその場に応じて適切に取り出せる」状態にするためにはどうすれば良いか・・・
★普段から物事を「関連付けて」考える癖をつける。
⇒物事を単体で理解・記憶するのではなく、相互に関連付けられた状態で理解・思考する。
★個別の事象から根本原理や法則性を考える癖をつける。
⇒法則性があるものは、自動的に関連付けて理解され・記憶されることになる。
・その人の「意見」と「事実」とを混同せず、事実とそれに対する意見とを、別々に考える。
・それぞれの事象に対して「何故」「どうして」と理由を考える癖をつける。
・どうでもよいこと、考えても結論が出ないことに関しては「捨てる」「保留する」ということも必要。
・様々なことに興味を持つ。
・自分が知らないということを常々意識しておく。
様々な意識をしながら生きることで、それらが習慣となります。
様々なものが、有機的に関連付けられて繋がり、検索能力が上がり、必要な時に必要な情報・知識を関連付けて取り出せるようになるのかなと思います。
▼小学生・中学生の頃から、身近な「なぜ?」を深掘りする遊びや会話、数字に親しむゲーム、家族での外出による知的好奇心の刺激、そしてディスカッションでの論理的な思考とコミュニケーション能力の向上などを通じて、理系脳は養われていきます。