数学は「暗記」ではない、定義こそが自由への鍵
数学という科目は、実は暗記すべきことが非常に少ない、最も効率的で自由な学問です。しかし、今の子供たちの多くが、その根幹である「定義」を正しく習得できていないことに、私は強い危機感を覚えます。
例えば、**「長方形とは何か?」と問えば、皆さんはどう答えますか?
数学における定義はただ一つ、「4つの角がすべて等しい四角形」**です。
では、**「正方形」は?
こちらは「4つの辺がすべて等しく、かつ4つの角がすべて等しい四角形」**を指します。
この定義を正しく理解していれば、ある事実に気づきます。
正方形は「4つの角がすべて等しい」という条件を満たしているため、数学的には「正方形は長方形の仲間(一種)」であると言えるのです。定義は、数学の世界における唯一無二のルールであり、論理の出発点。これさえ掴めれば、数学の世界はどこまでも自由に広がります。
教育現場の「硬直化」に物申す
しかし、現実の教育現場では、この「論理的な正しさ」よりも「狭いルール」が優先されることがあります。
最近も、塾生が「式を簡単にしなさい」という問題で、因数分解の形で答えて誤答とされる事例がありました。作成側の模範解答が「展開」のみを正解としていたようですが、これは数学的に見れば明らかな誤りです。私は即座に中学校へ連絡し、全県的な採点見直しを訴えました。
また、別の中学生は「xの値を求めよ」に対し「x=2」と書いて減点されていました。「2とだけ書くのがルールだ」という、あまりに硬直した指導。私は**「数学とは矛盾のない説明ができる学問であるはずだ。論理的に正しいものを否定して、何が教育か」**と厳しく指摘しました。
指導者が間違いを認めず、独自の「自分ルール」を押し付ければ、子供たちの探究心は死に、数学はただの苦痛な作業に成り下がってしまいます。
塾は「託児所」ではない
昨夜も、ある男子受験生が夜11時30分まで粘り強く机に向かっていました。
3時間半、一度も集中を切らさず、無我夢中で30枚以上のプリントを解ききった彼の姿には、神々しささえ感じました。
これほどの能力とやる気を持つ子が、なぜ長年通っていた塾で開花しなかったのか。不思議でなりません。
塾は、ただ子供を預かる「託児所」ではありません。「やって見せて」だけで放置し、「言って聞かせて、させてみて」、その成果を正当に認めてやる。そんな当たり前の伴走すらできないのであれば、塾の看板を下ろすべきです。
最後に
私はこれからも、論理的な正しさを守り抜き、頑張る生徒に**「貴女(貴方)の解答は正しい!」**と胸を張って伝えていきたい。
「定義」という羅針盤を渡し、少しだけ背中を押してやる。
それだけで、子供たちは自らの力でどこまでも遠くへ歩んでいけるのです。
それこそが、数学徒としての誠実さであり、教育者としての誇りだと信じています。