『数学』にも役立つ・中学生が読解力をつける方法
《批判的精神》(光村図書の中学3年生の国語の教科書に掲載されたチョーお奨め)
◆原書 『正しく考えるために』 (講談社現代新書) 岩崎 武雄 (著)
★中学生が読解力を身につけるには、読解力が身につく事を意識する事が大切です。その過程で「ことわざ」などにも強くなり、知的好奇心や話の上手さなどの能力も併せてついてくる場合もあります。
◎1:読書の習慣をつける
読解力を身につけるためには、まずは読書の習慣をつける事が第一歩になり、確実な方法になります。読書の習慣をつける事は中学生が読解力を身につけるための有効な方法ですし、語彙力も増します。以前読んだ本が高校や大学入試の問題になることもあり、この場合は高得点が取れる可能性が上がります。おすすめ(小説・本屋大賞・受賞昨)まずは新聞の社会欄や文化欄、政治欄の文章を読むことが効果的になります。新聞は毎日話題が変わるのでマンネリ化することもないですし、考えさせられる記事や印象に残る記事も多いので、考える力も自然とついてきます。スポーツ欄や芸能欄でも悪くないですが、社会欄や文化欄、政治欄の記事を読むと知的好奇心も身につきます。
◎2:文章を要約してみる
文章を要約すると、大事なポイントを探し出し、見逃さない力を身に着ける事が出来るので、読解力の向上に有効です。
◎3:要約したものを人に伝えてみる
要約した物を人に伝えてみる、と言うのも読解力を高めるための有効な方法です。人に伝える事によって間違った言葉の使い方にも気づき、修正する事が出来るので、読解力を上げるために、正しい日本語が身につきますし、声に出す事で場の雰囲気や人の気持ち等も理解できるようになります。
◎4:わからない言葉を調べるくせをつける
語彙力は読解力を身につけさせるために必要不可欠な力なので、わからない言葉は逐一調べて正しい意味を知る事が重要になります。中学生ではわからない単語が多いのは当然な事ですし、早いうちからわからない単語の意味を調べる癖をつけさせておきましょう。
◎5:いろいろなことを体験してみる
人は未知の物に直面すると、必死に考え、人に話したり相談したくなる者なので、いろいろな事を体験させてみるのも有効な方法になります。
読解力を身につけさせるには体験することにより、思考力を十分に鍛え上げる事が出来るでしょう。
◎6:普段から自分で判断することを習慣づける
常に自分で判断する事を習慣づければ、読解力の習得に繋がります。また正しい判断をしようと、集めた情報から適切な情報を選び抜くために、思考力も鍛える事が出来るでしょう。
★読解力は入試だけでなく、仕事や人間関係など、人生の様々な場面で大きな影響を及ぼす要素なので、読解力を付けるサポートを考えてみてください。読解力がつけば入試は勿論、生涯にわたって充実した人生を送る事が出来るようになります。
◆『学び』は、決して知識や情報を頭で理解したり記憶するだけではありません。何かの知識を持ってそれを身体を通して感じてみる、身体感覚を伴う体験で「気づき」「腑に落ちる」ということが起きます。『学び』は身体で感じ、その体験から新しい何かを認知するという行為で成り立っています。体験を通して初めて学びは『知恵』に転化するのです。
身体の体験から起きる学びこそが私たちの意識を変化させ、人間としての成長と進化をもたらしている源なのです。
★【不等式】10分話しますと言って話し始めると聞き手は疲れない。心の準備ができるからだ。
何も言わずに10分話してしまうと聞き手が3分くらいで終わるだろうと思ってたときなど《話が長〜く》感じてしまうかもしれない。
10という値は『絶対』なのか『相対』なのか、ものの見方を大切にしたい。
徹底して教え、主体的に学ぶ
なんのために勉強するのでしょうか?
▼内発的動機で勉強するのもいいですし、外発的でもいいです。カネを稼ぎたい!というのも立派な勉強の理由です。高校時代の勉強はかなりつまらなかった。結局のところ、やらされている感が強かったからなんでしょう。時間があればそれなりに勉強をしています。勉強が楽しい。学ぶことは喜びです。誰でもそうなんですね。自分のレベルが上がるのは楽しいものです。
★運転が上手くなる。
☆料理が上手くなる。
★英語を話すのが上手くなる。
☆楽器の演奏が上手くなる。
▼なんでも同じです。それを誰かに強制させられると、本当につまらないですよね。仕事だって同じです。医師であれ会社員であれ、サラリーをもらっていると労働を強制させられます。自分で仕事をやり始めると面白いですよね。それは会社員であっても自分の意見が通って主体性が生まれると仕事が面白い。勉強を面白くするためには、主体性が必要だということです。
▼ただ、主体性って怖いですよ。「主体性」と「我流」とはまったく別の問題なのですが、勘違いする人も多いんです。教員もそうです。『生徒の主体性を待つ!』って心地よい言葉です。人間、まったく教わらないとスキルアップしません。教えること、教わることはなによりも大事なのですね。主体性に任せてばかりいると失敗ばかりして、これまたつまらなくなります。徹底して教える。そこから主体的に学ぶ。武道と同じです。そのメカニズムがわかり始めると、生徒の力は伸びていきます。1年がもう終わり、新しい学年のはじめとなります。
▼時間は1秒もズレルことなく刻んでいる・・・時が早く感じるのはどうしてか・・・大事にしないといけない。時間は平等に刻み続ける。生かすも殺すも自分次第。受験生のみんなはこの1分1秒が人生を変えることになる。必ずやってくる受験日当日をどう迎えられるかで勝負は決まる。
学ばない人が多すぎる。悩んでいる暇があったら学ぼう。自己肯定感もモチベーションもやる気も関係ありません。しかも他人の力を借りる事ができます。
自分だけの力だけで、なんとかしようと思わなくて良いのです。他人の力を借りて学ぶこともできます。大抵の悩みは学びで解決できます。レッツ学び。
■近年の中学数学は無駄に問題文が長い■
◆私が学生の時は、PHSやガラケーが主流でした。iPhoneが登場してから徐々にスマホの人が増えていき、今やスマホじゃない人の方が少ない状況だと思います。中学校の定期テスト問題をチェックしました。とにかく問題文が長くなってきています。数学に会話文が登場しています。まずは会話文から問題の意味を掴まないといけません。今は、単純に公式を当てはめるだけでなく問題意味がわからないと解けない時代です。一昔前の定期テストとは、明らかに違ってきています。これからはさらに問題の長文化が加速していき、「読解力」が無いと問題が解けないことが「当たり前」の時代になっていくと思われます。
◆数学は問題文が長くて本当にいやですね、、、課題はこれなんですよ。文科省教育審議委員会が出した答申。『考えさせる』~とかいうたために、『国語』と同じになっています。大学入試共通試験も、数学の問いとは無関係なやりとりの会話が三行もある。これって「なんの意味もないじゃん」って。無理やりこじつけて長文にしている。こんなんは「数学」じゃありません。数学の真髄は一行問題です。
❖閻魔が笑えば赤門は開く❖伝説の東大入試問題
◎「円周率が、3.05より大きいことを証明せよ」
◎(1)一般角θに対して、sinθ、cosθの定義を述べよ。
◎(2)加法定理sin(α+β)=sinαcosβ+cosαsinβを証明せよ。
◆東京大教授「(第1問)では、加法定理を証明せよ」受験生「ぎゃあああああああああああああああ」それはおそらく、試験開始直後の一瞬の出来事だったに違いないと思われます。東京大学は、受験生のすべてを否定し、第1問でいきなり完璧な絶望を植えつけたのです。東大受験生であれば、仮に意識していなかったとしても受験勉強する過程で大抵の公式の証明方法が自然と身に付いているはずです。しかし、加法定理の証明は恐ろしい盲点です。意表をつかれて血の気が引いた受験生が多数いたであろうことは容易に推測できます。「公式は証明してから使うべき」というメッセージなのでしょうか。
◆教科書の内容すら身に付いていない内に難しい問題集を解いている受験生に対する警告なのでしょうか。周りが並の受験生だったならば、「どうせ他の受験生もできないだろう」などと思えたのかもしれませんが、ここは東京大学、最上位層の受験生ばかりです。他の受験生には超易問、自分には超難問。最上位層が1点を争う入試においてこれがどれほど絶望的なことなのでしょうか。全ては本質を見失い、教科書を疎かにしてきた自身の愚かさが招いた悲劇であったことでしょう。もっとも、終わってみれば出来は非常に悪かったらしいので(出来ていたのは2割?)、試験中に悲観する必要は全くなかったのですが。
◆本来、数学において証明が重要であるのは言うまでもありません。証明できない公式を使うということは、土台が不安定な橋を渡るような危険な行為です。一方で、受験は効率の良さが大事であり、いちいち厳密な証明を気にしていては受験勉強がはかどらないのも事実です。そのような効率重視の受験数学が蔓延することに危機感を感じた東大が、「学問としての数学」の軽視に対して一石を投じようとしたのかもしれません。たったの一度でも入試で出題されたとなれば、そのインパクトは絶大です。この年以降、受験生は公式や定理を証明込みで丁寧に学習せざるを得なくなりました。
◆花子ちゃん、太郎ちゃんのかけあい長文は、飽き飽きします。国語で読解力を試せ!数学に持ち込むな⋯って言いたくなります。
◎京都大学“史上最短“の入試問題「tan1°は有理数か。」⋯オシマイ!一行問題が数学的であり、何通りかの解き方もあり、難解です。センター試験では与えられた数式から答えを導き出すという出題形式が主体だったのに対し、共通テストでは、問題文を読みそこから自ら数式を作り出す思考力が試される問題が主体となっています。数学の知識だけでなく、「読解力」や「速読力」も高得点を取るための重要なポイントです。自宅で本を読む習慣をつけてくださいね。『本屋大賞』もらった小説なんかいいですよ。直木賞・芥川賞は、中学生には少し難しいかも。内容のあるマンガでもいいです。なにかに熱中して読む習慣をつけてくれたらいいですね。「読解力・速読」の育成のために。
◆意味を学ぶ姿勢、とっても大事ですね�『方程式は釣り合いの取れた天秤⚖』、『関数は入力と出力の自動販売機』そんな意味付け、味付けで数学を美味しく頂きたい。◆
アタマが論理的に考え出す!【数学コトバ】
★「ママ友」は「友」じゃない。★
◆話が巧い人たちは、これを実践していた。深沢さんが教える、アタマがどんどん勝手に論理的に考えだす方法です。数字や計算は一切出てきません。使うのは「数学コトバ」となる接続詞。これを使えば説明がうまくなり、相手を説得できます。あなたも日々知らずに数学的思考をしています。大人になったいまからでも数学を学べる方法はあります。勉強する必要はない。そのかわり、日常生活で使うコトバを変えなさい。いまからでも数学的な人物に変身できる方法です。教科書も参考書もいりません。もちろん数学教師もいりません。
◆五角形の面積を出すときにつかうコトバを思い出してください。三角形の面積は「底辺×高さ÷2」で求められる。どんな五角形も、3つの三角形に分けることができる。ゆえに、それら3つの面積を合計することで、五角形の面積を求めることができる。「これが数学である」これと同じことを日々の生活の中で行えば、あなたは数学を使っているということになるのではないでしょうか。日常生活で五角形の面積を求めるということではなく矛盾やムダのない論述をし誰もが100%納得できるように説明する(伝える)ことです。
◆子どもがいて、カレーの材料を買ってくるように伝えるとします。「カレーに必要な材料、適当に買ってきて」と言っても、もちろんよいわけですが、子どもは何を買えばよいか困ってしまうかもしれません。「適当に」と言いたくなるのをグッと我慢し、少し考えてから伝えてください。たとえばこんな感じです。必要なのは全部で、牛肉・ジャガイモ・ニンジン・タマネギ・ルー。しかも、冷蔵庫の中にはジャガイモ・ニンジン・タマネギが十分ある。ゆえに、必要なのは牛肉・ルーだけ。子どもは納得し、安心して買い物ができるでしょう。すでに冷蔵庫にあるものを買ってくるというムダも生じません。五角形の論述の応用です。当たり前の言い換えだと言われればそれまでですが、これも立派な数学の活用ではないでしょうか。「普段からちゃんと考えて伝えましょう」という事例です。「ちゃんと考えて伝える」ことは論理コトバ(数学コトバ)を使えば簡単にできるようになるのです。 【引用: ビジネス数学の専門家: 深沢先生】
「ママ友」は「友」じゃない。「勇気の処方箋」
■付き合いがつらいときの接し方。子どもの保育園・小学校・中学校を通じて知り合う「ママ友」。子どものことを考えてお付き合いが必要なのはわかっていても、年齢差があり趣味も違うと、会っているのがつらいというケースもあります。『…それってアドラー的にどうなのよ~』
アドラー心理学は、認知の歪みがある人や、感情と言動に不一致がある人に対して有効であり、周囲の同調圧力が煩わしければ、いっそのこと関係性を切り、自分が本当に歩みたい人生を、主体性に積極的に生きていくことを推奨しています。
■“友”という言葉で惑わされるけれど「友だち」ではなく、仕事の同僚や取引先の人と思って接すれば気持ちも軽くなるのではとのアドバイス。「ママ友」との付き合いがイヤだからと、子どもが世界を広げるのを阻むことだけはないようにと伝えています。「ママ友」っていう言葉に惑わされがちですが、「友」という漢字が入っているとはいえ、自分一人の意志で選んだわけではない繋がりだったりします。それは会社の同僚とか、取引先とかと条件は同じです。「あなたと趣味が合いそうだから同僚になろうよ!」と言って同僚になるわけではないですね。
■仕事をしていく中で、いろんな困難に一緒に立ち向かったり、力を合わせて目標に取り組んだりすると、強い絆が生まれる。お子さんを通した「ママ友」との繋がりも、「子どもについての悩み」を相談しあったり、「行事に一緒に取り組んだり」ということで深くなることもあるかもしれません。誰か1人が「風邪ひいた」と言えば、みんなが「大丈夫?早く治ってね!」とスタンプやお見舞いコメントを送る。グループなので、愚痴を吐いたり逆に自慢したり、常に誰かがLINEで呟いている状態。それに対して、みんな同様毎回リアクションしているのですごく疲れます。ファミレスでママ友みんなでお茶をする時も、出席しないと取り残される気がしていつも合わせて参加しています。ママ友付き合い、本当に疲れます(笑)
★自分と趣味の合わない人たちであろうと、ちょっと肩の力を抜いてうまくやっていくことはできるのではないでしょうか。すぐそばにいる味方を大切にしてくださいね。
▼【嘘から出た真】「正しくない式」と「正しくない式」から「正しい式」が生まれることがある。
■『高校数学の重さ』=「中学数学の5倍」■
なぜ、高校数学でわからなくなるのか?
▼「なぜ、高校に入って数学で落ちこぼれてしまうのか?」ということについてです。そうなってしまった人は、日本に何百万人といると思います。中学まで数学が得意だったのに、高校で苦手になってしまうという人もけっこういるはずです。高校数学は、具体例がなくて定義から記されているものが多いです。高校数学の教科書を思い出してください。新しい概念もどんどん出てきます。わからない記号とか、わからない式の羅列が目に入った時点で、「え、何いってるの?」となって、それを考えているうちに置いていかれる。そういう人は多いと思います。
▼小学校の算数や中学の数学までは「Aくんは時速何kmで歩いて……」というような現実と結びついていることが多いのです。中学までは具体的にイメージできるものが多いです。問題文を読めば解き方が直感的にわかる、つまり足し算、引き算、かけ算、割り算をすればいいか判断できるものが多いです。図形でも、見たことがある形でした。中学数学はおなじみの正方形とか長方形、台形、平行四辺形、円とかをもうちょっと詳しくやっていきましょうみたいな感じになっています。「中学までは数学ができた」という点でいえば、中学までの数学は計算すればできたとか、問題をその通り解けばできた気がします。中学数学でも、文字式や関数のグラフが出てきましたが、まだ問題文を読めば何をすればよいかがわかりました。
▼高校数学になると、だんだん「数学独特な言い回しの問題」や「思考力を問われる問題」が多くなってきます。中学数学あたりまでは、教科書に載っている例題とテストの問題の差はそれほどなかったのですが、高校数学のテストはもうちんぷんかんぷん。とくに教科書の例題と大学入試レベルの差はかなりあります。高校数学の重さは、感覚的に「中学数学の5倍」です。「中学数学」と「高校数学」はちがうものというのはドロップアウトした時点でなんとなく感じて、数学に対する自信が折られます。そのショックも大きいと思います。「できる」と思ってたことが、「できない」ということを自覚するはずです。
▼原因の1つは、同じ3年間でも高校数学は学習する量が多く、質も高く、スピードも速くなることです。量でいうと高校数学の教科書の厚さは中学数学の2~3倍あります。教科書の1ページに書かれている内容が高度なのでスラスラと読み進められません。感覚的な重さでいえば高校数学は中学数学の5倍くらいかもしれません。中学までの数学が得意だと思っている生徒のなかには、勉強しなくてもできると思っていた生徒たちが一定数います。そういう生徒は、授業を聞いているだけで理解できていた。何をすればよいのかストレートにはわからない問題に取り組むという経験がなかったから、高校数学になって何が起こっているのかわからないまま「おかしいな!?」という感じになっていくといえそうです。負のスパイラルに陥ってしまいます。
▼中学数学の5倍くらいのイメージで臨んだほうが、メンタル的にはいいかもしれないです。数学で落ちこぼれる負のスパイラルとして、「できない自分が悪い」と思いがちということもあると思います。「がんばっているのにできない」という生徒は、やはりやり方が悪いのでしょうか?努力する方向がちがうのでしょうか?「問題集をこれだけ解いたのにできるようになりません」という生徒がいます。「この公式を使いなさい」と示されている問題を10回解いたとしても、「こうしなさい」といわれた問題しか当然解けないわけです。問題自体が何をたずねているのかを理解しようとする練習を積めば、ほかの問題でも解けるようになります。しかし、「問題がたずねていること」をつかむ前に、やり方自体を覚えようとしてしまう生徒が多いのです。
▼わからないけれど解法を暗記している場合、言い回しが変わったときに、「結局、何を聞かれているのだろう?」という「問題の背景」を理解しようとせず、中学までの取り組み方のまま、条件反射的に取り組もうとしてしまうためです。「この問題って、こういうことを習ったけれど、それはわかっているかな?」とか、「こういう意味でとらえられているかな?」ということを確認するのを「背景」といって伝えています。「この問題は何がいいたいんだろう?」ということをつねに意識しておくことです。「問題の背景」とは、いわば「この問題は、こういうことを聞きたいから、こういう出し方をしている」というようなことです。「問題が出される背景」までを考える習慣がない生徒は、高校数学を解くのは厳しいと思います。「問題の背景」を理解すると、だんだん生徒も「この問題は、そういうことを聞いているのか!」とか、「この問題は、こんなふうに聞かれてそうだな」とか、「そういうところがキモなんだな!」とつかめてくるようになります。
▼新しい問題でも自分で解くための切り口を見つけられるようになる。問題の見方が変わってきます。「式(抽象性が高い)」と「グラフの図示(具体性)」との関わりや、問題のとらえ方の引き出しが増えてくるため、浅い理解から深い理解に変化していくような感じです。問題文の中にヒントがちりばめられているというのも見えてきます。「問題の背景」がわかれば、超天才でなくても高校数学を解けるということです。「問題の背景」をつかんで解く練習を繰り返す。「そういうことなんだ!」とわかったら、そこから1人でどんどん取り組めるようになると思います。
★【入試の極意】★入試算数や入試数学で最も大事なことは「問題は解けるように作られてある」という意識を持って解くことにあると思う。そういう意味で出題ミスは絶対あってはならないこと。