数学を【解くこと】と【教えること】の違い
しっかり理解させようと思う気力
最終的にはこの〝やる気〟というやつが講師にも必要な要素となります。
「この生徒の数学を、絶対に克服させよう!」という気持ちが、『生徒を真剣に見つめ把握すること』 や 『教え方の研究』 などにつながります。
大学生の単なる学生アルバイトでやる気や責任感もなく形だけ教えている講師では、
数学の克服の手助けは難しいと思います。
数学の問題が解けるということと、教えることができることは違う理由をまとめました。
いろいろな科目がある中で、特に数学は苦手な生徒が多い科目です。
数学を克服したい皆さん、良い講師を探し、頑張って数学を克服してください。
数学を【解くこと】と【教えること】の違い
生徒の理解度・習熟度の把握力簡単すぎる問題の説明に時間をかけるのは無駄です。
難しすぎる問題を過度に教えることは時間の浪費です。
生徒の理解度や、習熟度に合っているかいないかを判別する感性が求められます。
正解に至る道を、瞬時に掴めないレベルの内容の問題は、時によりスルーすべきです。
思考方法を考え、異なるアプローチを演習させても、思うような効率は上がりません。
一人ひとりに合った、理解すべきレベルの選択をしてあげること。
講師にとって重要な役割は、選択し、集中すべきかどうかを、判断できる能力です。
目の前にいる生徒の鉛筆の音が、止まった理由を推測することが大切です。
かみ砕いて分かりやすく説明する力
数学が苦手な生徒に説明するとき、内容に応じてかみ砕いて説明する必要があります。
教科書の例題を真似るだけでは、生徒は理解してくれません。それができないから数学が苦手です。
分かりやすく具体的でかみ砕いた説明が必要となります。
個別指導塾を探して、お越しいただいたということは、何らかの 『願い』 がこもっているのだと思います。
「一人一人に応じて…」 ということは、言うは易し・行うは難し!
数学を【解くこと】と【教えること】の違い
数学の問題を、『解くことができるということ』と『教えることができる』ということでは必要とされる理解度と、知識量が絶対的に違います。
・数学を教えるために必要な力
・教える内容の完全な理解・その問題の難易度を把握できる力
・生徒の理解度・習熟度の把握力
・かみ砕いて分かりやすく説明する力
・しっかり理解させようと思う気力
▼教える内容の完全な理解「きちんと理解できていなければ解くこともできないのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
案外そうでもありません。
解くだけであれば、完全に理解できていなくてもやり方を覚えているだけでもできます。説明となるとそうはいきません。自分が完全に理解できていないものを他人にうまく伝えることができるはずがありませんから。
▼その問題の難易度を把握できる力…例えば基本ができていない生徒に東大の入試問題を教えても理解できるはずがありませんね。
数学を克服しようと思ったら、習熟度に応じて必要な問題のレベルというものがあります。ですから、講師が問題のレベルを間違えてしまえば、決して要領よく数学の力を伸ばすことはできないでしょう。
以下、続く♪
何のために理科を勉強するのか
自然災害に対応するため
理科を学ぶ理由の4つめは、自然災害に対応するためです。身をまもることと同じですが、①地震 ②火山の噴火 ③台風 に関する知識。これらを理解していれば、自然災害に対応できます。
そもそも日本は、世界でもまれにみる自然災害の宝庫です。理科を勉強しておけば地震が起きても、変に慌てることなく落ち着いて避難できるでしょう。たとえば地震の知識があれば、津波が発生するか否かもわかります。
初期微動と主要動の意味を理解すれば、緊急地震速報が地震後に遅れて届く理由が納得できます。
また天気図が読めれば、少なくとも天気予報士が言っていることが理解できれば、ずぶ濡れにならなくて済むでしょう。最近はゲリラ雷雨が増えています。水害に備えることもできます。
災害を回避するだけではありません。趣味を安全に楽しむことにも利用できます。黒潮洗う足摺岬は、私がイシダイを狙うホームグラウンドです。磯には大きい岩だけでなく、足下を洗う小さく低い足場もあります。
夏の磯釣りでは、はるか南の熱帯低気圧が、北緯何度の線を越えたら、中止の決断をするか判断できます。一般的な『風波』は恐くはありません。
しかし、熱帯低気圧(台風の卵)が生み出す『うねり』は、とんでもなく怖いです。低い磯では、床がセリ上がって、足のくるぶし辺りまでザザーッと洗うこともあります。流されかけたけれど、間一髪で助かった・生命に関わることも経験しました。
冬場の【西高東低】は、北西の暴風が吹くことも再々です。磯釣りのメッカと呼ばれる愛媛県宇和海で、どの向きの磯に上がれば良いか。気持ち良く釣りを楽しむことができるか分かります。もっとも、「風が福浦(吹く浦)」とも呼ばれる「福浦」は逃げ場がありませんでした。
《天気図を読む》~《等圧線の密度を理解し風向を読む》ことは、 『趣味を楽しむため』 『身を守るため』にも重要なことですね。
▼子曰く、吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
▼しのたまわく、われじゅうゆうごにしてがくにこころざす。さんじゅうにしてたつ。
しじゅうにしてまどわず。ごじゅうにしててんめいをしる。
ろくじゅうにしてみみしたがう。しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがって、のりをこえず。
▼孔子が云う、「私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。六十で何を聞いても動じなくなった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」と。
◆爪の垢を煎じて飲みたいものです♪