青少年の未来のために働く指導者はだれ?
アメリカの記者会見です。
記者「国民についてきた嘘を悪いと思ってますか?」トランプ氏硬直
13日のホワイトハウスの記者会見で、記者からのストレートな質問に、いつもは饒舌多弁なトランプ大統領が返答に窮する場面が話題となった。
会見中、ハフポストのS.V. Dáte氏は「3年半が経ちますが、アメリカ国民についてきたすべての嘘を悪かったと思っていますか?」と、単刀直入に切り出した。
Dáte氏「すべての嘘です。すべての不誠実についてです」
トランプ氏「誰のこと?」
Dáte氏「あなたがしたことです」
トランプ氏は、ここでようやく質問を理解したようだ。一瞬固まり、「アー」と声を漏らしながら目が泳ぐような表情を浮かべた。その後「数万回もですよ」と強調するDáte氏を無視して、次の記者に質問するよう求めた。
ワシントンポスト紙は7月、トランプ氏のうそや誤解を招く発言が2万回を超えたと報じた。特に過去14カ月間でうその回数が増加しており、1日あたりの平均は23回に上ると分析している。
日本の記者のみなさん、会見の質問の模範です。想定質問などもってのほか。権力者は必ず黙るか指が震える。それを報道するのが新聞・TVのお仕事。
安倍に同じ質問をしたらどうでしょうか。それも何回も。
将来の日本を担う今の小学生中学生のために、私たちの税金が正当に使われているかどうか。
勉強へのやる気を出す方法№1
それでは勉強へのやる気を出す方法を考えてみましょう。簡単に始められる内容が多いので、是非実践してください。
1.不要なものを視界から排除する。
前述の「やる気がでない理由」にも記載したように、スマホやテレビ、漫画はもちろんですが、勉強関連の資料や本であっても、現在行っている勉強意外のものが、視界に入ることで集中が途切れてしまうのです。数学の勉強をしている時に、英語の教材が視界に入るだけで、脳がその情報を処理する無駄なエネルギーを消費してしまいます。
最低限、デスク周りは今こなしているもの以外は視界から排除するようにしましょう。勉強に集中出来る環境を作りたい、受験生や社会人の方におすすめです。散乱した集中力を乱す原因をまとめてシャットアウトし、集中せざるを得ない仕組みを物理的に作ってしまいましょう。
2.勉強時間の締めを区切って勉強する(締切効果)
「締切効果」とは、たまった宿題を夏休みの終わりギリギリに、これまでにないスピードで終わらせる人っていますよね。あれです。勉強時間に締め切りを設けることで、やる気を後押しし、さらに勉強に集中できるのです。例えば、夜の21時までにこのドリルを終わらせる。または、朝8時までにこのページを全て暗記する。など、締めの時間を設定して、自分に課題を設けることで、いつも以上にやる気が出て、集中できるのです。
3.とにかく勉強してみる(作業興奮)
やる気がなくても、まずは勉強してみることで「作業興奮の効果」が作用し、やる気が出てくるのです。「作業興奮」とは、脳科学で言うドーパミンという、やる気成分が脳の側坐核を刺激することで出るのだそうです。わかりやすく言うと、スポーツする前に軽いウォーミングアップすることでやる気になってくるやつです。やる気がなくても、やってみることでやる気が出てくる。ということなのです。
「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」№5
科学を学ばせないと、その知識に触れる機会もなくなってしまうので、理系に進む人もほとんどいなくなってしまいます。自分から勉強して知識を習得しようとする人はごく僅かでしょう。
つまり、工業系産業を支える「誰か」を見つけたいから、学校で全員に科学を勉強させるのです。とりあえず全員に勉強させておけば、私のように興味をもって理系に進む人もいるし、先ほどの友人のように、その知識が必要だと後から気付く人もいます。
小売産業やサービス産業は消費者からとても目につきやすい産業なので、言い方は悪いですが、放っておいてもそこで働きたい人は出てきます。
しかし、「ものづくり」と呼ばれれる産業は普段の生活では目に見えないものが多いので、その方面を志す人も少なくなりがちです。それではとても困るのです。国が困るし、その国で生活する人も困るのです。だから、そういう産業に進むきっかけとして科学を勉強するという意味も、とても強いと思います。
まとめると、数学や理科を勉強する理由は、・理系に進むかもしれない人の科学を勉強する機会を消さない。・学生の理系に進む可能性を少しでも残して理系産業を守る。という考えです。
一般的な言われる「論理・数理的思考力を養う」というのも重要な理由の一つですね。
「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」№4
非常に消極的ですが、理系に進む可能性が1%でもあるのであれば、その可能性を潰さないというのが、私が考える科学を勉強する理由です。
国語を除くすべての科目は、ある個人にとっては全く意味のない知識となる可能性を秘めていますが、それでも勉強するのは、その方面に進む可能性が、多くはなくとも必ず残っているからです。日本語ですら、ある一定以上の能力は求められない場合が多いのです。(漢検1級とか)
ここまでが、個人が科学を勉強する理由です。科学を勉強させるということは日本という国として見ても、産業を守るためにも必要なことです。製造業や通信業など、理系の知識を使う産業が日本を支えています。
誰かがその仕事をやっているし、誰かがやらなければならないのです。これから大人になる人の中の誰かも、その産業を仕事としていくことになります。
「誰か」というのがとても重要です。国としては「誰か」にその産業の担い手となってほしいわけですが、「誰か」が「誰であるか」を特定することは極めて難しいことです。
最終回に続く
「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」№3
「では、そういう人は科学を勉強する必要がないのではないか」と考えるのが普通だと思います。しかし正確には「結果的に科学を勉強する必要がなかった」と言うべきです。この点が非常に重要です。つまり「勉強する必要がない」ことと、「勉強する必要がなかった」ことの違いです。
ここで考えたいのが、高校のときに自分の人生について完全な見通しがあるという人がどれくらいいるのかということです。あまりいないのではないか、と私は思っています。
卑近な例ですが、とても自動車が好きな友人がいます。その友人は科学が基本的に苦手なのですが、大学選びのときに自動車を学ぶのには科学の知識が必要だということを知り、高校の後半から数学・物理を勉強して、理系の学科に入学したそうです。
その友人が中学・高校で科学を教えられていなかったらどうなっていたか、ということですが、科学への非凡な適正と相当以上の勉強量が無ければ、理系学科の受験は諦めることになっていたでしょう。その友人は大学受験のことを考えるまで、ろくに科学を勉強していなかったそうです。
彼は結果的に「科学の勉強が必要だった」ということになりますが、中学や高校の段階で、科学の勉強が必要かどうかをどうやったら判断できるのでしょうか。中学・高校で科学を勉強していなくて、彼のように急にその勉強が必要になったとしたら、それから勉強を頑張っても、ほとんどの場合、現代社会の技術に求められるだけの知識を身に付けるのは困難でしょう。
科学に限らず、基礎学力をつけるのはとても時間が掛かることです。必要だと気付いてから勉強しても遅いのです。将来がどうなるか分からないから、とりあえず勉強しておかなければならないのです。
次回④に続く