「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」№2
さて、本題に入る前にちょっと考えてみます。いま皆さんはこのブログをどのような形でご覧になっているでしょうか。多くの場合は、パソコンかスマートフォンだと思います。
ではそのような情報媒体は、何で出来ているのでしょうか。金属とプラスチックと半導体、という話ではありません。簡単に言うと「数学と物理学で出来ている」ということになります。その動作の全てを数学と物理に基づく電子制御に頼っています。素材は化学の知識をフル活用して作られています。
パソコンやスマホだけではありません。テレビも自動車もエアコンも、全て数学や科学の計算に基づいて動作しています。そして生活用品の多くの物が工場で作られ、工場にある製造機械もまた、数学と科学によって動きます。
現代の社会では数学と科学がなければ成り立っていないものなのです。(めんどくさいので、これ以降、「科学」=「科学+数学」の意味で使います)日本の主力産業は情報通信業や製造業であるとも言われています。ひとつ注意しておきますが、理工系の人間はよく「科学こそ至高」というようなことを言いますが、私はそういう考え方はしていません。科学を使ってどんなにすごいものを作ろうと、それを使いこなす人がいなければ意味が無いからです。商売が上手かったり接客が上手かったりするのも重要な能力です。
残念なことに私にはその適正は無いわけですが…。喋るのが上手だったりしてそれが強みになる人の中には、実際に科学と全く無縁の仕事をして、全く無縁なままの人生を送る人もいて、その人たちも社会にとって重要な役割を担っています。
次回③に続く
「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」№1
中学校で「5教科」といえば、国語・数学・理科・社会・英語ですね。国語はもちろん、日本語のことですが、これができないと日本で生活するのは大変です。日本語を学ぶのは非常に大切で、最も重要視している科目でもあります。
そして、社会。これは歴史や地理や現代社会について学ぶものです。現代社会がどのような状況にあり、自分がその中のどのような立場に置かれているかを理解する上でとても重要です。自分の立ち位置を理解するからこそ、その先に何をしたいか、何をすべきかを考えられるのだと思います。
英語はもう小学校での教育も義務化されていますが、世界公用語のひとつであり、日本のとても仲の良い国が使っている言葉でもあるので、英語を学ぶのは、当然と言えば当然です。
さてここで、数学と理科です。現代社会では、ほとんどの人が高校に進学し、高校でも数学・理科を学びます。私はもともと、数学も理科も好きだったので、学ぶのが苦にはなりませんでしたが、それでも中学校の頃から「なんのために?」という思いはありました。よく言われる学ぶ理由は、「論理・数理的思考力を身に付けるため」ということです。この意見には私も賛成ですが、学ぶ理由の全てではないと思っています。
それだけが理由なのであれば、高校に入ってまで勉強する必要はありません。高校でやるような小難しい公式や塩基配列を憶え込むよりも、論理パズルや数理パズルを解きまくるほうが思考力だけは身につくと思います。高校に入ってからも勉強する理由は別にあります。
次回№2に続く
青少年の未来を憂う
布マスク約8千万枚 『配布時期の延期を検討』 「政府が今後さらに布マスク約8千万枚を、介護施設や保育所、幼稚園など向けに配る予定であることが厚生労働省などへの取材でわかった」
と朝日新聞が報じています。
お役人が電話をかけ、相手の施設から断られて困っているとか。冗談かと思います。菅「継続配布は有意義」安倍晋三以外にアベノマスクをしてる人など1人として見たことがないけど、安倍はムキになっちゃったみたいで、さらに100億円単位の税金を投入してアベノマスクを8000万枚も追加配布するという。この方が日本を率いるトップの座にいるという悲劇!
安倍はこれまで年頭所感で「アベノミクスの暖かい風を全国津々浦々へお届けいたちまつ」などと言って来たけど、この7年間で全国津々浦々にお届けしたのって「使い物にならないアベノマスク」と「Go To トラベルによる新型コロナウイルス」だけかも。究極の税金無駄使い。備蓄に回すことになりそうだが、備蓄すればまたカビだらけになって使い物にならないのでは。率直にアベノマスクは間違いだったと謝罪すれば良いのに。
アベノマスクの総予算:970億円
アベノマスクの検品費:8億円
大学生への支援:7億円
どうして、小中学・高校・大学生の手厚い支援に回さないのだろう。税金の使い方が間違っていますねっていうレベルを超えているかも。生徒さんたちが成人すれば、ふさわしいリーダーを選んでほしいと願っています。
「本を読むより物を作れ」:ノーベル賞導いた恩師の言葉
ノーベル物理学賞の受賞者である中村修二さんが、感謝を捧げる恩師が徳島市にいる。大学時代の指導教官だった多田修・徳島大名誉教授だ。多田さんは教官時代、旋盤加工などを得意とする「実験屋」。学生の中村さんには「難しい本を読む時間があったら手を使って物を作れ」と、実験の大切さを説いていた。
そんな姿勢に対して、当時の中村さんには反発心があったという。多田さんの言葉の重みに中村さんが気付いたのは、日亜化学工業に入社後だった。論文を読んでも製品づくりに結びつかない。「いつになったら製品ができるのか」という重圧がかかる中、実験に活路を見いだして、赤色LEDに使う結晶の開発につなげた。
「多田先生の言うことは合っていた。それからです。先生に教わって良かったと思うようになったのは」そこで教え込まれた実験の重要性が、偉大な賞へと導いたといえるでしょう。
さて、「学び」についての重要性はどうでしょうか。教育や学習のあり方に思いをめぐらせてみると、むしろ、「本を読む」=「講義を聴く」ことに重きを置くような教育・学習が主流ではないでしょうか。解説を理解することは、学びにおいて大切な要素です。だからといってテストで良い点数を取ることはできません。
ネットでは、優秀な教育系ユーチューバーもたくさん出てきました。なるほどそういう優れた証明方法もあるのかと感心しても、テストのプリントを前にして、鉛筆を持つ手が固まって動かない…ということは再々あります。
つまり、塾ではどれだけ多くの問題を解いたか?演習をしたかということが、良い結果につながります。個別指導塾サクシードでしっかりと問題数をこなしていきましょう。
数学と算数の違いってなんですか?
と聞かれたときはいつも文字式を使うか使わないかです。と答えています。
ではなぜ数学では数字の代わりにアルファベット等の文字を使うのでしょうか?それは、数学がいつも一般化を目指しているからです。
たとえば偶数を2nと表したり、x とy を使って関数を表したりするのは、さまざまな数を文字に代表させて、無限に存在する数の性質や数と数との因果関係を端的に捉えることを目的にしています。
中学・高校の数学でたくさん登場する公式の数々は、そうした一般化の成果です。実際、公式が使える問題については、どんな問題であってもたちどころに解決することができます。そしてすでに一般化された公式あるいは解法を積み上げることによってより深く、難しい問題を解決していこうとするのが数学の根本的な姿勢です。一般に成り立つ法則を具体的な例に当てはめて考えることを演繹と言いますが、数学の醍醐味はこの演繹的思考にあります。
たとえば2次方程式には解の公式というものがありましたね。文字で与えられる2次方程式の解の公式は非常に複雑な式ですが、文字に具体的な数字を代入することで、どんな2次方程式の解も(複素数の範囲で)必ず求められます。公式を使うことの恩恵は(たとえ数学が苦手であっても)誰でも一度は感じたことがあるのではないでしょうか?
数学に強いということは、既存の公式を適切な場面で使うことができるだけでなく、それらを組み合わせて未知の問題を解決していく方法を探り、最終的にはまたその新しい問題に対する公式や解法を一般化できるということです。演繹的思考を積み上げて具体的な問題に対処し、そこで得られた知見を再び抽象化して次の演繹的思考に生かせる能力が重要であることは言うまでもありません。
抽象化する力は、たとえばこんな問題で試されます。
(問題)奇数+奇数は偶数になることを示しなさい。もちろん、「3+5=8。8は偶数だから奇数+奇数は偶数」という解答では0点です。具体的な例を挙げるだけではすべての奇数について成り立つことの証明にはなりません。
この問題に答えるためには、「2で割ると1余る」という奇数の性質や「2で割ると割り切れる」という偶数の本質を文字を使って抽象化(モデル化)する必要があります。解答2つの奇数は、整数を表すm、nを使って2m+1、2n+1と表せます。(2m+1)+(2n+1)=2m+2n+2=2(m+n+1)。m+n+1 は整数なので、2(m+n+1) は偶数となります。個別指導塾サクシードで、一般化・抽象化になじんでもらいたいと思います。
よって、奇数+奇数は偶数。(証明終)