数学が得意な子は、まず手を動かす!
数学オリンピックに出場するような数学が得意な子供たちは、問題を見て、すぐに答えがすぐにわからなくても、まずはとにかく手を動かして「書きながら」考えていくという共通点があるそうです。
こんな実験結果もあります。ある小学校で、小学生に数学の問題を解かせました。
その後、子供たちを2つのグループに分け、一つ目のグループには問題をどうやって解いたのかを手を使って、書いたりすることによって説明させ、二つ目のグループには口頭のみで説明させました。
すると、強制的に手を使って説明させられたほうのグループのほうが、問題解決能力が高まることがわかりました。
つまり、答えがすぐに分からなかったとしても、数字や文字、図形や表など頭に浮かんだアイデアを視覚化することによって、思考が整理され、解決までの道筋が見えてくるというわけです。身振り手振りが多い子供ほど創造性が高い!
創造性を高めるのにも、手の動きが役立つことがわかっています。図形を描く練習もさせています。
学習塾にかかるコスト
「コスト」に見合うだけの「価値」はどうやったら得られるのでしょう。
先生の質を上げればいい?先生が指導を工夫すればいい?もちろんそれは大事なことです。もうひとつ大事な要素があります。
指導効果は先生の努力と生徒の努力の掛け算で成り立っています。
先生が1000円分の授業を提供しても生徒さんのやる気が0だったら価値は0になってしまいます。
例えば芸術鑑賞で、チケット代が10000円以上するお芝居を見たとしましょう。
Aくんは全く興味を持たずに居眠りしてしまい、Bくんは感動をしてその後の人生に影響を及ぼした、ということもあるかもしれません。Aくんがそのお芝居に全く価値を見いだせなかったのに対し、Bくんは10倍にも20倍にもして自身に返すことができました。
意味を見いだせない人や寝てしまう人は、それに対する自分の感性や姿勢を振り返ってみましょう。
実は自分のやる気や学習態度が透けて見えることだと気づきます。
中学・数学、高校・数学の広がりと深まり
高校数学教師・大手塾講師など誰でもできる。三問ほど予習して、黒板に書きながら説明したらいいのだから。生徒の質問にその場で質問に即答できるか?
ある教師は、明日までに解いてくる。ある教師は、考えとく…と言いながら、その後なしのつぶて。翌日、解説できる教師はまだ良いほうです。
城東高校・奈良女子大・数学科卒・若き女性教師だけでした。「あぁ、これね。こうして考えたら簡単ね」いつも即答でした。生徒から、絶大な信頼感と羨望の的でした。学生から難問を質問されて、リアルタイムで、回答解説できる高校教師は、少ない。同じく中学教師も。
中学・数学、高校・数学は学習内容の広がりと深まりに、それほどの大きい違いがあります。高校進学し理系を選んだら、中学数学に費やした時間の二倍・三倍の努力が必至です。中学生の時に、もたもたやってる場合じゃありません。
お受験算数・「特殊算」は賛否両論があります。指導要領では、小学生は「方程式」を使ってはいけないのです。ところが、中学・高校になればすべて方程式を立てて解決します。特殊算は「方程式」を使わないで解く方法を塾講師たちが作り出したものです。「流水算」、「年齢算」など、それぞれの単品だけに通用するものです。「方程式」は、全ての分野に活用でき簡単に答えを導き出せます。
中学数学を徹底して固め、何が出題されてもなんとか解決できる。常に90点台取っていないと県下指折りの高校進学校へ進んでも、苦労するかもしれません。
算数・数学こそ学問に王道無し。基礎からの積み上げが大切です。
算数・数学は、手間をかけたら、その分だけ理解が深まる。
手を動かすことの意味
しぶしぶ手を動かして、ノートに数式や図を書いてみる。そうすると、不思議なことに、だんだんわかってきます。たくさん書けば、書いた分だけ、理解が進む。名物講師が「手を動かしなさい」というけど、あれは本当です。
「手で書く」という行為は、時間がかかるし、両手もふさがる。だから、その問題に向き合わざるを得なくなる。一文字ずつ手で書きながら、その問題について、順番に、ゆっくりと考えることになる。
授業をなんとなく眺めて、教科書をチラっとみて、テスト前にちょっと見直して、テストを受ける。こんな感じで、できるわけがないですね。
わからないことが増えるに従い、ついていけなくなります。単純に「手で書くのは面倒」だと思うかもしれません。でも、問題に向き合って、なにもしなければ、ただ問題文を見つめているだけ・時間が過ぎていくだけです。面倒くさいですが、問題文の要旨を写してみましょう。なにかヒントが浮かび上がります。
手間をかけたら、その分だけ理解が深まります。「職人さん」でも同じです。「大工さん」「鍛冶屋の包丁造り」「ネイルアーティスト」より良い作品を生み出せます。これは数学だけの話ではなく、わりとなんでもそうですね。いろんなことを面倒くさがってやらないし、やってみると意外と簡単にできたりする。
「わかる」ってこんなことかも。
「たった一度の人生を変える勉強をしよう」
『生き方』や『働き方』の正解を教えてくれる先生は、どこにもいません。
これから皆は、先生のいない授業に取組まなければいけないわけで。
信じるってひとつの決断なんだよね。一方、鵜呑みにする事は決断じゃない。従来型の勉強だけでは通用しない時代になった。
その理由は、1つ目は日本がみんな同じ成長社会から、それぞれ一人ひとりの成熟社会に変化したこと。2つ目は、成熟社会に突入した結果、世の中から正解がなくなってしまったこと。
納得解が必要になったこと。
人生は出来合いの正解を探し当てるものじゃない。自分自身の手で納得解を作り上げていくものなんだ。
「複雑さを生きる!」「未来は、現在になり、すぐに過去になる」…学習の時間は限られています。